これが僕のHIVとの生き方

2013年8月にエイズを発症したHIV患者の闘病記です。日々の生活と素直な気持ちを綴っています。

2013年10月

どうしても今日は感謝を書きたい

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僕のブログを見て頂き
ありがとうございます。

ここ最近、ブログを始めてよかったと
常々思います。

HIVと告知されて
僕の心は前を向きませんでした。
入院中のベットに横たわったまま
沢山考えました。

HIVを知ろうと情報を調べるうちに
HIV患者の方々のブログに出会いました。
皆さんのブログには
不安や苦悩は沢山書いてありました。
しかし、立ち直ったその人なりの
今を生きる姿を、僕は見ました。

患者達が寝静まった、夜の病院の待合室で
僕はよく景色を眺めていました。

窓の外にはいつも
人のいなくなった大通りにトラックが走り
側には真っ暗のグラウンドがあり
遠くにはぽつんとコンビニがあります

きっと昼間には、また沢山の人や車が
行き来するんだろうと見ていました。

景色を見るうちに
僕がAIDS発症しようが
肺炎で苦しもうが
そのまま死のうが
窓の外にはいつもと変わらない
明日が来るのだと感じていました。

何度もそれを繰り返しながら
HIVの僕なんて、社会から見るとあまりにも
小さいのだと、実感しました。

次第に窓の外に出たいと思うようになり
その為に何かしなければと考えました。

ブログを通して
何か得られる物があればと思い
ここを始めました。
むしろ、僕ができるものが
当時ブログしかなかったのです。

沢山の方に見て頂けるようになりました。
次第にコメントを頂けました。

インターネットを通してでも
嘘で固めた僕を捨てられるのは
今の僕には前を向く支えです。

今日は見て頂いたり、コメントを頂いたり
感謝を書きたいと思いました。

ありがとうございます。

身体障害者になる

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今日から僕は身体障害者になる。

昼に役所へ行った。
そして身体障害者手帳を受け取った。

申請が約二ヶ月かかると思ったが
一ヶ月で申請が降りて
昨日通知書が届いたからだ。

受取りは後日でも良かった。
だが、体調が悪化したり
今後何があるかわからないので
僕は早めに受け取るようにした。

窓口で説明が終わり、書類を記入し
手帳や案内を受け取った。

手帳を目の前にすると
身体障害者になるのに心がついていかず
制度の説明まで理解できなかった。
何度も聞いたが
やっぱり僕はあやふやな理解だ。

障害課の窓口を後にし、年金課
バスセンター、携帯ショップと
手続きを今日にまとめて行った。

他人に手帳を触られたりコピーを取られたり
大変気分が悪い。
仕事で何度も他人の手帳を触る機会が
あったが、逆の立場になり触られると
こんなに気分が悪いと思ってもみなかった。
手続きしなければよかったな。

昨日までは病人。
今日からは身体障害者。

これからは身体障害者手帳と共に生きる。
僕はもっと強くならないと。

俺も先生に会ってみようかな

「俺も先生に会ってみようかな。」

先日、父が母に言ったそうだ。

一向に症状が改善せず、通院をやめない僕を
不審に思ったのだ。

言われた母は動揺を隠しながら
場を取り作ったらしい。
すぐ僕の部屋に駆け寄り
この経緯を僕に伝えた。

僕は母に
「もう一度、お父さんが同じように言ったら
その時改めて考えようよ。」
と返答した。

母と対策を考えた。
家族と顔を合わせる機会を増やし
団欒に参加するように決めた。

僕がとりあえず家から出る機会が増えれば
不審も和らぐはずだ。
それまで誤魔化せば良いだろう。

家族との微妙なやりとりが面倒だ。
面倒臭いのではなく、良かれと思う行動が
裏目に出たり、思わぬ言葉で傷付いたり
と厄介な機会が多い。
こちらが伝えたい本心を
家族であっても言えない。

きっと今だけの辛抱だろうな。
なんとか家族へはやり過ごそう。

次に父に言われたら
改めて母と対策を考えようと思う。
なければ良いが…。

通院と医療費

今日は通院日。

前回の採血で外部検査に出していない為
特にはこれといって進展はなし。

帰り際に、中性脂肪が気になる数値なので
食事に注意するよう、先生に注意された。
僕もついに中年域に入ったか…。

帰りに役所へ寄った。

9月の医療費が高額請求の上限よりも高かく
払い戻し相談をする為だ。

先日、請求書を整理していると
高額だと今更気付いた。
まずは看護婦の母に相談すると
母も疑問に感じていたようだ。
今日病院に相談をしたが
役所へ相談するように促された。

9月はまだ入院をしていた。
入院費と通院費は計算が分かれ
払い戻しも少し違うようだ。
払い戻しできる案内を受けた。

今日は印鑑を持っていなかったので
出直して手続きする予定だ。

僕が領収書を保管していたおかげだ。
だが、保管していなかったら
どうなっていたんだろうか?

僕の病院のソーシャルワーカーは
頼りなさすぎる。
はっきり言うと使えない。

入院中に医師とソーシャルワーカーと僕で
面談をした。
医療費と治療の兼ね合いを
僕が決める為だ。
その場で入院中にHIV治療を
開始するように決めた。

医療費が上限を超えるのは
想定出来たはずだ。
今回の払い戻しも案内できて
よさそうなのに。

生活していく為に必要となる
制度の話をしても、
わかりませんとの返答だけだ。

更生医療制度の案内だけではなく
生活に根差した案内をして欲しいものだ。

ペースを作るのに専念した

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僕は自分のペースを作るのに専念した。


家族で日帰り旅行に行った。
両親・兄家族・僕で、遠出をした。

昨日の家族の団欒で、地域の話題が出た。
その話題は意外展開になった。
昔家族で行った所が今は随分変わっていて
実際に行って見てみようと決まった。

朝から車を走らせ
昼に海岸沿いを眺め
昼過ぎに山へ着いた。

僕達が幼かった頃に
両親と一緒に行った山だ。
世代交代した僕達がまた
両親と一緒にそこへ行った。

懐かしい風景を眺めながら
昔食べた名物を食べ
家族の時間を過ごした。

ゆっくりと移り変わる時間を感じられ
なんとも風情のある一日だった。


だが僕は僕なりに考えていた。


朝急いで朝食を摂り服薬した。
急いだのは、体調を観察し調子を整え
長時間の運転が可能か否か
適切な判断を下す為だ。

人混みでは密かに
用意してきたマスクを付けた。

山岳のロープーウェイでは
感染症を避ける為に
自分が乗らなくても良いように事を運んだ。

昼の薬は運転する車内で済ました。

外食は店を決めながら
店内の水が飲めない為に
水を買う自動販売機も探しながら考えた。


僕と家族とHIVとの関係は
まだまだぎこちない。

ゆっくりと時間が過ぎ
人も場所も少しずつ変化するように
きっと僕達のぎこちない関係も
少しずつ変わってくるだろう。
プロフィール

ぽけんた

1982年生まれ、九州在住、HIV患者。2013年8月15日に〈いきなりエイズ〉を発症。闘病の記録と正直な気持ちを綴っています。見て頂いた方のお役に立てれば良いです。

服薬
【抗ウイルス薬】
ビクタルビ
【その他】
ネリゾナ軟膏
〔2023年1月現在〕
検査数値 (CD4・RNA)

〈2018〉
450ぐらい・検出値以下 (2/7)
〈2016〉
450ぐらい・29(5/25)
〈2015〉
369・検出値以下(6/8)
〈2014〉
269?・32(4/7)
169・20(3/10)
121・20(2/10)
〈2013〉
110ぐらい・74(12/16)
97・? (11/25)
81・460 (10/7)
155・4000 (9/13)
30・430000 (9/5)
48・? (8/15)
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