これが僕のHIVとの生き方

2013年8月にエイズを発症したHIV患者の闘病記です。日々の生活と素直な気持ちを綴っています。

2014年11月

服薬への感謝

薬の粒を見つめる。

一粒の値段を考える。

ありがたみも。



「いつまでこの制度があるか」

そんな言葉を
僕は母にかけた。

今後を話し合った。
その中でHIV闘病や
障害者として生きる
内容も含めた。

家のことをどうするか。
どう手続きをとるか。



日曜日はピルケースに
一週間分の薬を入れる。

HIV闘病が生活の一部に馴染めば
ピルケースを見つめる機会は
ほとんどない。


“劇薬"


と書かれた表記。

健常者から見ると
大変な薬を
服薬しているのだと思う。

高価な薬を服薬する毎日が
当たり前の日常になっている。

制度の助けがなければ
平凡な生活は僕はおくれない。

鮮やかで大きな
一粒一粒をケースに入れた。
有り難みを感じながら。

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週末の溜まった疲れと体調不良

週末になると
溜まった疲れを実感する。

どうも体調が
不安定になる。



今日は昼過ぎから
目がチカチカとする。

夕方になると
帯状疱疹痕の神経痛が痛む。

夕飯を済ませ
服薬をするとどうも
胸が苦しい。

そうか今日は金曜日だ。



疲れやすくなった。

肝臓の数値が上がっているせいか
服薬で体に負担があるせいか
週末になると疲れを感じる。

週末になると
どうも調子が悪い。

調子が悪い時は
精神的な状態も
あまり良くはない。

これがずっと続くのだと考える。
億劫になる。

全部の薬の服薬を辞めると
一時的にも体調が良くなるのだろう。

何か良い方法は
ないものだろうか?

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時間はときに残酷だ

“考え”から
”行動”になり
”現実”になって
“当たり前”に落ち着く。

何度か時間の流れを
ここに書いた。

今年も残り一ヶ月になり
時間というものを
改めた考えた。

時間はときに残酷だ。



『今年も残すところ一ヶ月 』

何気なくかけていたFMから
そんなフレーズが聞こえた。

もう11月も終わりだ。
残すところ一ヶ月。
今年も終わる。

毎日毎日。
朝早くから仕事に出かける。

体調を整えながら
仕事をしていると
1日なんてあっと言う間だ。

今年も終わりだという
実感がなかったが
そういえばそうだと
僕はFMから実感した。

一年を振り返りながら
これから始まる一年を
考えるに至った。



去年の正月は
何をしていただろうか?
よく覚えていない。

おそらく自室に閉じこもって
お節を囲まず一人で
過ごしていたのではないだろうか。

睡眠障害が出てきたあたりだ。
二日起きて、一日眠るサイクルを
過ごしていたのではないか。

心も体もきつい生活だったな。
これからの時間も見えず
ただ一日がゆっくり過ぎていたっけ。

そんな日々が嘘のように
一日が足早に過ぎ去っていく。

あの頃が二年も三年も
過去のように思えてくる。

ほんの以前の生活だったと考えると
嘘のように感じてしまう。

何もなかったところから
想像するようになり
行動に移して現実になった。

現実になったら
今度は当たり前の生活になった。



父のいない生活を
想像するようになった。

心や考えが追いつかず
どんどん事が過ぎる。
やっと心がついてきた時には
当たり前の現実になる。

その過程を僕はこの一年で
痛い程わかっている。

あったものがない現実が
当たり前になってしまうのを
寂しく哀しく思わざる得ない。

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HIVへの無関心

HIV患者が親になる。

健常者の子供。
健常者のパートナー。
HIV患者である親。

僕にとっては
遠い存在の架空の家族である。
実際にそういう方が
いるかもしれない。

家族を考えた。

HIV患者が親になれない社会ではなく
親になっても侵害されず
生活が送れる社会で
あるべきではないか?

家族を作らせない社会ではなく
家族が守られる社会だ。

そう考えた時に
変わるべき認識がある。



“無関心"

HIV増加の原因として
HIVへの”無関心”をあげられる。

“無関心”に僕は
違和感を感じざる得ない。
本当に無関心なのだろうか?

無関心が起因して
遠い存在だと認識されて
しまうのだろうか?

この社会の全ての人に?



無関心な人。
無関心にしておきたい人。

無関心の中で二分される。

HIVへの偏見は
多くの人が知っているはずだ。

厳しい現状を目前に
検査を踏み切れる人は
どれぐらいいるだろうか。

HIV陽性であれば
地獄の底だとわかっていながら
検査ができるものだろうか。

たとえHIVであっても
安心した生活を送れる状況を
作らねばならないのではないか。



“無関心"と一言に収めらえるのは
僕はどうしても納得がいかない。

検査体制が整っており
治療も制度も充実してもなお
HIV感染が増加傾向にあるのは
何かしらどこかに問題があるからだ。

隠れた問題解決せずに
HIV増加の問題は
同性愛者批判や
HIV患者への侵害に変わる。

批判や侵害
遠い存在としての認識
HIVへのタブー視

そんなものは全く意味がないから
HIV感染が増加するのではないか。

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闘病の答えとは?

闘病の答えとは?

治療の道筋が決まっておらず
治る確率と同等に
死ぬ確率もあったならば。

どう理解して
受け入れていけば
良いのだろうか?



HIVは道筋が決まっている。

"治らない”を前提に
諦めるものは諦める。

HIV感染したからといって
“死”を意識はしない。

HIVへの治療は
道筋が決まっている。

どう受け入れ理解するか
社会にどう溶け込むか
“理解”の仕方だけが
患者それぞれによって違う。

治る可能性が出てきて
死ぬ可能性も出てくると変わる。

治す治療
延命治療
緩和治療
治療しない

選択肢が広がり
理解の仕方も変わる。



病気を受け入れて理解をしたく
僕は闘病生活を送ってきた。

心が満たされる方法を考えると
それしかなかったからだ。

受け入れようともがいた結果
今があり見えたものがある。

受け入れるとか理解するとか
そういう考えを持たずに
何も知らずに未来を考えたまま
死んでいく。

それがはたして
一つの闘病として
本当の正解なのかどうか
自問自答してきた。

それも一つの方法だと
認めなけれなければ
何もかもが浮かばれない。

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プロフィール

ぽけんた

1982年生まれ、九州在住、HIV患者。2013年8月15日に〈いきなりエイズ〉を発症。闘病の記録と正直な気持ちを綴っています。見て頂いた方のお役に立てれば良いです。

服薬
【抗ウイルス薬】
ビクタルビ
【その他】
ネリゾナ軟膏
〔2023年1月現在〕
検査数値 (CD4・RNA)

〈2018〉
450ぐらい・検出値以下 (2/7)
〈2016〉
450ぐらい・29(5/25)
〈2015〉
369・検出値以下(6/8)
〈2014〉
269?・32(4/7)
169・20(3/10)
121・20(2/10)
〈2013〉
110ぐらい・74(12/16)
97・? (11/25)
81・460 (10/7)
155・4000 (9/13)
30・430000 (9/5)
48・? (8/15)
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