これが僕のHIVとの生き方

2013年8月にエイズを発症したHIV患者の闘病記です。日々の生活と素直な気持ちを綴っています。

2015年02月

寝坊と体調管理

“06:43"

ふわっと起きて
枕元のiPadを見た。

案の定寝坊した。
iPhoneを充電し忘れて
電源が落ちていた為
アラームが鳴らなかったのだ。

そこから急いで支度をして
いつも通りの時間に家を出れた。

体調を上げる前に
行動を優先した。
その為、ムカムカというか
具合の悪さがあった。



調子を上げる時間と
カロリー摂取が必要だ。
自分自身わかりきっている。

朝は朝食として果物を摂り
自分の時間で動けるよう
時間の余裕を持っている。

今日は寝坊した為
そんな時間はなかった。
優先するのは”支度”だ。

体調よりも時間が優先になる。
体がついていかないのを実感した。
具合の悪さを感じたが
無理矢理に体を起きさせ
今日は出勤した。

体に鞭を打つのは
しんどいし辛い。

無理矢理に
体をぐっと持っていく
このきつさは
服薬しているならではだ。



『スポーツドリンクは
気軽にカロリー摂取できますよ』

先日頂いたコメントを思い出した。

今日は珍しく
スポーツドリンクを
車内で飲みながら出勤した。

会社につく頃には
体調の悪さをすっかり忘れており
いつも通りのペースであった。

きっとスポーツドリンクの
糖分と水分が
体調を整えるのに
一役かったのだろう。



調子を整える方法の
引き出しが増えると
いざという時に役にたつ。

調子が悪い時に
スポーツドリンクは
水分と糖分、カロリーを
気軽に摂取ができる。

今までは調子が今ひとつな時は
物を食すようにしていたが
案外飲み物の方が
早く体調が上がるかもしれない。

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決めた時間の良し悪し

“決めた時間"に起きて
“決めた時間”に通勤して
”決めた時間”に夕飯をとり
”決めた時間”に服薬する
”決めた時間”に寝る

何事も決めた時間にする。
その方が体調管理がしやすく
自分自信も楽である。

良く言えば
規則正く

悪く言えば
淡々としている。



そんな生活に
僕は飽きている。

休日は疲れからか
一日中自室でだらだらと過ごす。
あっという間に夕方になり
また平日が始まる。

その繰り返しだ。

“楽しみ”がないと気がついた。

楽しみを作り
気分転換する目的で
PS4を買った。

夢中になれるものであれば
何でもよかった。
うまく飲み込みきれない
つっかえが少しでも取れれば。


ゲームは所詮ゲームだ。
画面は画面の域を超えない。

夢中になろうとする
僕はいるが
しかしながら
夢中な僕はいない。

いくらゲームに転化してところで
ゲームはゲーム。
消化されないものは
何も変わらなかった。

つっかえはつっかえに
過ぎないのかもしれない。

それが何なのか
僕はわかっている。



変わるものは
僕は変えてきた。

淡々とした
この生活でさえも
以前はなかった。

何も見えないところから
この生活を作ってきた。

それを考えると
この淡々として生活でさえも
有難いと思う。

だが変えられなかったものも
僕は実感している。
それが僕のつっかえであると。

変えられなかったものを
変えていかねばならないのだろう。

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HIVだから、闘ってきたから

HIVだから
闘ってきたから
病気を見つめているから。

父の闘病に関しての
僕たちの選択は
間違っていたのでは?

僕は考える。

そもそもが
選択すべき立場では
なかったのではないか。



「闘病は患者の為にあって
家族の為にあるものではない。
死の間際までそうだ」

僕はこの言葉を
以前家族にぶつけた。

余命を伝えられた僕たちは
父には具体的な宣告を
しないという選択をした。

何度も僕が異論を唱えても
判断は覆らなかった。

あいにく父は死んだ。

どこまで自分の死を感じていたか
何を考えていたのか
今となってはわからない。

その結果
僕の心に残ったのは

“もっと異論を強く
唱えなければ
ならなかったのではないか

患者としての立場が
痛いほどわかるじゃないか
だったら何故しなかったんだ"

この感情だ。



どこで死ぬか。
死に際をどうするか。
それまでの期間をどう過ごすか。

それは本人しか
決めてはいけないと
僕は考えている。

家族といえども
他人が踏み込める
領域ではない。

僕は闘病において
自分の道を自分で決めてきた。

HIVという
受け入れがたい大きな問題でさえも
自分の一部として受け入れた。

他人が考えるよりも
人は強い。

“選択"が誤りだと
当時はいがいがとしていた。
とげとして僕には
どうも残っているようだ。

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過ぎ去る時間の感覚

一週間が早い。
駆け足で過ぎ去る。

仕事をして体調管理をして。
服薬しながら調子を整え
精神も安定を計る。

それだけで一杯一杯で
あっと言う間に週末が来て
日曜を過ごし
また週末がやってくる。

この病気になってから
時間の経過が一段と早くなった。

それだけ頑張っているのだろうが
そのまま一生が終わるような
気がしてしまう。

もう少し気持ちも体も
余裕があれば。

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剥がす抗ウイルス薬のラベル

"薬のラベルは
ご丁寧なものだ"

薬の入ったボトルを
破棄する際に
僕は薬名を剥がして
わからないように捨てる。

昨日いつも通りに
ラベルをはがす際
切り取り線に気が付いた。

薬名と注意書きの項目が
別々になっており
剥がせる仕様になっていた。

他の抗ウイルス薬を確認したところ
全てのボトルが同仕様になっていた。

はがせる仕様だ。

はがす人がいるのだろう。
必然的にはがすのだろうか?
まだまだはがす必要が
この社会にはあるのだ。



“HIVが無害化する"

そんな馬鹿げた記事を
ばかばかしく思えたが
興味をそそられ以前読んだ。

無害化したところで
HIVに対する風当たりは
無風になるのだろうか?

当事者である僕は
別の問題を考えながら
読み進めた。



自分がHIVであると
実感しない時間が増えた。

あれだけ恐れていた状況が
いつもあるものになってしまうと
日常になるのだから不思議なものだ。

なぜ僕はHIVを
日常として捉えているのだろうか。

HIVに感染しているか否かよりも
僕がどうこれから生きるかが
大事なのだと実感しているからだ。

僕が自分を成熟させる過程の
問題にHIVがあるに過ぎない。

全てではなく一部の過程だ。

ただ自分の認識と
社会の見方は
別問題同等に違う。

それを心底実感しているが
故に僕は必然的に
ボトルのラベルをはがし
捨てているのだろう。

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プロフィール

ぽけんた

1982年生まれ、九州在住、HIV患者。2013年8月15日に〈いきなりエイズ〉を発症。闘病の記録と正直な気持ちを綴っています。見て頂いた方のお役に立てれば良いです。

服薬
【抗ウイルス薬】
ビクタルビ
【その他】
ネリゾナ軟膏
〔2023年1月現在〕
検査数値 (CD4・RNA)

〈2018〉
450ぐらい・検出値以下 (2/7)
〈2016〉
450ぐらい・29(5/25)
〈2015〉
369・検出値以下(6/8)
〈2014〉
269?・32(4/7)
169・20(3/10)
121・20(2/10)
〈2013〉
110ぐらい・74(12/16)
97・? (11/25)
81・460 (10/7)
155・4000 (9/13)
30・430000 (9/5)
48・? (8/15)
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