これが僕のHIVとの生き方

2013年8月にエイズを発症したHIV患者の闘病記です。日々の生活と素直な気持ちを綴っています。

2017年02月

父と僕とHIV

昨晩は父の夢を見た。

父は自分の葬儀にも関わらず
喪主のように先頭で
喪服を着て佇んでいた。

姿や佇まいは
はっきりと鮮明ではあるが
霊であるのはわかった。

いつかは消えてしまうのだ。
ではそれはいつだろうか?
疑問に感じながら父の姿を追う。

葬儀は終盤に差し掛かり
出棺の時間になった。

棺桶を霊柩車にこれから
乗せようかとしたところで
僕は目が覚めた。

睡眠障害と副作用の恩恵で
希望した夢であれば
眠ると続きを見られるのだが
起床時間であった為
僕は諦め起床した。



『死を乗り越える』とは

なんて綺麗事な言葉だろうか?

僕は今ひとつ
乗り越えられてはいない。

“怒り”の感情が邪魔をする。
家族に対しても
母に対しても
自分に対しても。

父の病状がわかり
余命が見えた時
僕以外は皆"言わない"選択をした。

結局、押し切られ
父に事実を言わなかったのだから
今となってはどうあがいても
僕もあちらと同じ"同種"である。

目の前の現実に
考える時間さえなかったと
家族は今でさえ
言うのかもしれない。

僕からすると違う。
現実は現実。
逃げられないものは逃げられない。
闘病は受け入れるだけの一方通行だと
身をもって知っているからだ。

余命も伝えずに
母と主治医で決められる治療。
入退院も何もかも。

犬猫と何が違うのだろうか?
といつも僕は考えてしまう。

入院の書類の中に
”告知を受けますか”
という項目がある。

そこに父が希望するの記載を
していたのならば
告知すべきだったのでは。

告知された父を受け止めるのが
家族が果たす役割であり
最後の最後まで隠すのは
役割の”放棄”に過ぎないのでは?



その一方で
僕は自身の治療を
自らの意思で決めている。

決断すべきものは
すべきであるし
いくら父の件があろうとも
背に腹は変えられない。
今までも。これからも。

父には治療方法も
余命も最期の過ごし方も
身辺整理も
何もかもさせなかったくせに

自身の病気となると
何もかも自分で決断を下すのだから
僕は卑怯で愚かだ。

昨晩の夢で
二度目のさよならを
父に言われたような気がしている。
もうその葛藤はいらないんだよとも。

父が亡くなり
時間が経過しても
自分を責める気持ちは
一向に無くならない。

昨晩、いくら父が
僕を慰めても。

これがHIVや闘病を通した
僕の父に対する供養と言われれば
それはそうなのだろう。

皮肉なものだ。

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入眠不調と途中覚醒

睡眠がうまくいかない。

よくよく考えると
”中途覚醒”が原因じゃないか?



朝方、起きられない日々が続く。
車の中で食べるおにぎりを作り
弁当を詰めるのが日課だったが

最近はもっぱら
起床するのが精一杯だ。

アラームを鳴らして
30分格闘し起床。
起床後は10分ヒーターの前で
うとうとしながら過ごす。
寝ぼけたまま
シャワーを浴び着替え
定刻の十分遅れで家を出る。

連日この繰り返しだ。



前回、心療内科に
入眠も悪いが
目覚めが悪いと相談した。

睡眠がうまく取れていないのでは
との見解があった。
夢の見方が変わった点を
僕は返答したのだけれども
よくよく考えると
”中途覚醒”が毎日だ。

23時半に入眠剤服薬
ベットでゴロゴロし
0時半頃に入眠。

4時に起きて
5時に再度起きて
6時の起床時間を迎える。

夢は毎日ある。
2種、3種類を見るし
見たい夢ならば
無理矢理話を紐づけて
途中から続きを見る。

連日この状況はしんどいな。

入眠剤の血中濃度を考えて
早めに服薬をするか。
睡眠時間を長くとれないものか?

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転院を具体的に考え始める

“転院”を考えている。

転院を具体的に
決め始めている
というのが言葉としては
今の僕の心境に近い。



前回の診察の際に
担当看護師から
“転院”の打診があった。

通いやすさを考えて
○○病院へ移ったらどうか。
医師は元々この病院にいた方で
信頼もおけるし
先方も引き受けると言っている
という打診内容であった。

大病院は患者の状態に合わせ
他院を紹介する。
HIV患者でも同じだ。

近隣の病院は大病院とはいえ
担当看護師制度はなく
チーム医療そのものがない。

処方されるだけの診察。
すれ違うだけの看護師。
事務的なソーシャルワーカー。
派遣の診療心理士。

田舎ではHIV患者数が少ない。
その上で必要としても
受けられない医療がある。

加えて
僕の場合は身内に
医療関係者が多い。
街で一人の診療心理士でさえ
血縁である状況だ。

プライバシーに対する心配は
HIV治療の独特の問題である。

近隣病院の医療環境下で
果たして僕は
治療ができるのだろうか?

整った環境下での
ゲンボイヤの変更でさえ
四苦八苦しているのに。



この整った治療環境を
必要としている他の患者へ
僕は受け渡すつもりだ。

近い将来に。

今の病院へ移ったのは
肝炎治療を行う為であった。
治療を無事終えれば
移るのは当たり前といえば
当たり前だ。

ゲンボイヤを継続するか否か
考えなければならないし
向精神薬や入眠剤に
頼る生活も早くやめたい。

いつかは今の病院を去るだろうと
心の片隅で考えてはきたものの
予定より随分と早い
タイミングとなりそうだ。

HIV治療を開始して
三年経っても
ゆっくりとマイペースに治療とは
なかなかならないものだ。

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地元の心療内科の受診

今日は寝坊した。

仕事のスケジュールは
来週まで余裕があるので
仮病で会社を休んだ。

iPhone、iPadのアラームに加え
Apple Warchの手首の振動で
起きるようにしているのだが

昨日はApple Watchを
つけ忘れてしまった為に
寝坊するに至った。

一度、Apple Warchをつけてでも
起床時間を過ぎていた時もあった。
遅かれ早かれの寝坊なのだろう。

入眠がうまくいかず
睡眠も途中起床。
朝は眠気を持ち越し
日中は昼寝を挟む。

ゲンボイヤに切り替えて
連日この繰り返しだ。



地元の心療内科を受診した。

通院が可能な時間帯と
地元の評判で
今回、この心療内科を選んだ。

何を伝えるか
どう言おうか
事前に考えてはいたものの
どう伝えて良いものか迷うものだ。

HIV
遠方の大病院での治療
ゲンボイヤ
湧き出る不安
不眠症

言う内容が多いゆえ
断片、断片で
言うべき内容を形作っていく。

ゲンボイヤで継続するのか
抗ウイルス薬を変更するのか
迷っている旨は伝えたものの
継続の元にまずは治療したいと
僕は医師に伝えた。

■安定剤のクロチアゼパムは
効果を感じてはいるものの
効いている時と切れた時がわかる。
切れた間がなければ良い点。

■服薬の薬を後々は減らしたい点。

■ゲンボイヤを継続する元に
治療をしたい点

この三点から
クロチアゼパムは中断し
”ロフラゼプ”という薬に変更となった。

いわば超超ロング型。
一日一錠の服薬ながら
実は三日ぐらいいけちゃうよ
という薬らしい。
その割に副作用が少なく
依存性が低いようだ

なんだその夢のような薬は。

また二週間後に受診し
しばらくは薬の様子を見る。



血液の中の免疫を薬で保つ。
外側の皮膚を薬で保つ。
当たり前の睡眠を薬で保つ。
目に見えない心を薬で保つ。

他人が自力で
当たり前にやれる内容を
僕は薬で頼らざる得ない。

自分の中身がないのではと
常々考えてしまう。
自分の感情とか人格が
薬で作られているのではないかと。

とはいえ
生活する為には
どの薬も欠かせないし
どれかを欠くと生活が成り立たない。

なんなのだろうか。

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プロフィール

ぽけんた

1982年生まれ、九州在住、HIV患者。2013年8月15日に〈いきなりエイズ〉を発症。闘病の記録と正直な気持ちを綴っています。見て頂いた方のお役に立てれば良いです。

服薬
【抗ウイルス薬】
ビクタルビ
【その他】
ネリゾナ軟膏
〔2023年1月現在〕
検査数値 (CD4・RNA)

〈2018〉
450ぐらい・検出値以下 (2/7)
〈2016〉
450ぐらい・29(5/25)
〈2015〉
369・検出値以下(6/8)
〈2014〉
269?・32(4/7)
169・20(3/10)
121・20(2/10)
〈2013〉
110ぐらい・74(12/16)
97・? (11/25)
81・460 (10/7)
155・4000 (9/13)
30・430000 (9/5)
48・? (8/15)
ぼやき
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