これが僕のHIVとの生き方

2013年8月にエイズを発症したHIV患者の闘病記です。日々の生活と素直な気持ちを綴っています。

2017年07月

自然とHIVとの狭間で

"ハグロトンボ"という
トンボがいる。

漢字だと"羽黒蜻蛉"と書き
幻想的なのだが
別名"神様トンボ"というようだ。

オニヤンマ等のトンボと
異なる飛び方をする。
ひらひらと曲線を描くように舞う。

留まった姿も美しい。
羽を開いたり閉じたりするのだが
四枚の羽を一枚に重ね
そこからまた四枚の羽に開く。

神秘的で田舎ならではの
巡り合わせである。

職場で、このトンボを
見かけるようになれば
夏が来たんだなと実感する。



澄んだ空気に
ヒグラシのさえずり

山の緑に囲まれ
河のせせらぎが聞こえる

そのまま飲める湧き水が
冷たく流れ続ける

潮風に吹かれながらの
海沿いのワインディング
荒涼とした山越え道も

季節毎の自然の恵みを
頂く時もある
甘み、苦味、酸味、塩味
素朴だが澄んだ味が口に広がる

何もかもが
混じり気のない
自然の"ありのまま"の姿だ。



しかしながら
"ありのまま"は時に残酷だ。

一昨日、仕事終わりの夢を見た。
このまま最終便に乗れば
東京に行けると。

先週、空港に飛行機を眺めに行った為
きっと、その影響だろう。

空港でも、ここで全てを投げ出して
東京に行ける。行こうか?
なんて馬鹿げた衝動があった。

人の波に呑まれ
多様な価値観の中で生きた方が
ゲイでありHIV患者である僕は
僕らしい僕ではないか?

田舎では他人と同種が求められ
異なると異種だと排除傾向にある。

この環境でどう生きるべきだろうか?



見えているような
見えないような
越えられない壁が自分の中にある。

ありのままの姿に
嘘に嘘を重ね
混沌とした時間の中に
自分が埋もれてしまうのではないか?

一歩踏み出すのは
向精神薬でもなく眠剤でもなく
心理カウンセリングでもなく

自分自身であると
心底わかっているのだが
今ひとつ一歩進めないんだ。

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全身が汗で痒い痒い痒い

痒い痒い痒い。

先日は皮膚科の受診であった。

このところ順調に時間をかけて
ステロイド軟膏の強さを
弱めてきたのだが
ここにきて全身が痒い。

医師に相談したところ
背中の部分だけを診ると
順調ではあるようだ。

背中に塗っていた
ロコイドと保湿剤とを
合わせた軟膏の量を増やし
全身に塗るようにした。

これで経過観察をする。



『夏場の人?冬場の人?』
と前回の診察で問われた。

夏に汗に反応するタイプなのか
冬に乾燥に反応するタイプなのか
皮膚状況を聞かれたのだ。

これまで気にしていなかった為
返答に困惑してしまった。

このところ汗で皮膚が反応し
全身が痒い痒い。
掻き傷が付いてきた。

抗ヒスタミン薬の飲み忘れもあり
その反動から痒みがぶり返す。

何もしてても汗をかき
飯を食っても、風呂上がりでも
暑いし痒いし。

ステロイド軟膏の
レベルを下げる点は
順調に進んでいる為
この軟膏の弱さは保持したい。

こまめに爪を切ったり
まめな着替え、シーツの洗濯
できる内容を継続して行うつもりだ。



僕の皮膚は
夏場はどうも駄目なようだ。

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放置で綴りたい内容が多々あり長文へ

今日は叔母の49日。
綴りたい内容は多々あれども
更新に至るまでの気分でなく
今日まで放置した。

今日は残しておきたい
と感じる為
文字同士を繋げ
書くに至った。

残す内容は三つあり
”母に対して”
”心療内科受診”
”叔母の49日法要”
である。



”母に対して”

先日、母の誕生日祝いと共に
母が骨折をしていたための
兄弟揃って快気祝いをした。

母との問題以来
母の誕生日を祝うのは
実は三年ぶりである。

三年前、僕は誕生日を忘れられた。
両親は外食に出かけ
僕は一人を過ごした。

その頃は免疫値が低く
まだ飲み物含む全てを加熱食品という
制限をかけていた。

ミネラルウォーターがなければ
白湯かお茶という
暑い時期にしんどい制限だ。

加えて、家族と食卓を囲む際に
自分だけ加熱食品を食べ
家族は生食を含む常食を食べる。

何も知らない家族が常食を勧めたり
目の前で無神経にそれを食べたり
場合によっては
『それぐらい食べても大丈夫さ』
と根拠のない言葉すらかけてくる。

健常者ではかからない病気が
自分にはかかる可能性があり
防止の為のできるだけの努力を
しているにも関わらず。

それが心底、嫌で嫌で仕方なく
「誕生日祝いをしなくても良いから
今日だけでもせめて
家族皆、加熱食品を同じように食べ
食卓を囲みたい」
というささやかな願いを申し出た。

そこで誕生日が忘れられていたのが
発覚したという最悪のケースだ。

『どうせ来年もあるさ』という
謝罪もなく腹立だしい言葉を言われた
のにも憤慨である。

火に油を注ぐように
その次の年に父が亡くなった為
それが父との最後の誕生日である。

父への告知の件であったり
相続の問題であったりと
母と長年の溝があり
一時期は同居であるにも関わらず
顔を合わさず、合わせても
挨拶しない状況もあった。

このところ
遺族としての父の死の消化のせいか
母に対する感情に変化があった。

自分が何にこだわっているのかが
よくわからなくなり
自分の内側からの母への愛情を
素直に自身が受けれるべきだと
考えるようになった。

僕が発案し
以前から、母が欲しがっていた
ホームベーカリーを
兄弟で資金を出し合い
プレゼントした。

そうしたい気分であった。



”心療内科受診”

昨日は心療内科受診であった。

このところ、混沌とした状況が続く。
食事にも影響があり
お腹は空くし食欲はあるのだが
何を食べたいのかがわからない。

スーパーへ行っても
これは今日は気分でないとか
あれも違うなと
迷う時が多々ある。

外食に関しても
あれも違う
これも違うと
通り過ぎる。

唯一、果物だけは
すんなりと受け付けていて
素直な酸味であったり
混じり気のない甘さが
今の自分の口に合う。

そういう状況を医師に相談し
悪くはないけと良くもない
僕が言うように混沌としている
との言葉をかけられた。

気を張って仕事をする反面
同性愛者でありHIV患者という
本来の自分としてのプライベートに
耐えきれていない。

仕事で成果を出し認められるように
仕事以外でも何かに認められたい
のだと僕は自身を分析している。

『息抜きしている?
息抜きもしないと駄目だよ〜』
という先生からの助言があり
薬に関しては変更なしになった。



”叔母の49日法要”

今日は叔母の49日であった。
つい先日、叔母が
亡くなったような感覚がある。
早いものだ。

叔父が喪主の挨拶の際に
『亡くなった感覚はなく
まだそばにいるようだ』
と述べていた。

5年も半身不随の叔母を介護して
自宅で静かに最期を看取った。

療養期間も痛みもなく
最後はいつものように眠って逝った。

そんな家族でも”遺族”となった場合
死への解釈で時間がかかるのだと
改めて僕は感じた。

僕が2年半、父の死への解釈で
時間を要したように
叔父も同じぐらいの期間
解釈に時間を要するのかもしれない。

人生は子孫を残し死を得る
という人間の本能で
単純ながら複雑なものだ。



今日は長文になってしまった。
上記が今書き残したい内容である。

このブログをHIV患者としての
フィルターを通して綴る。
書く意思もまた自分を形成する
一つなのかもしれない。

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プロフィール

ぽけんた

1982年生まれ、九州在住、HIV患者。2013年8月15日に〈いきなりエイズ〉を発症。闘病の記録と正直な気持ちを綴っています。見て頂いた方のお役に立てれば良いです。

服薬
【抗ウイルス薬】
ゲンボイヤ
【その他】
レクサプロ・ベルソムラ・ロゼレム・オロパタジン・カロナール
〔2018年6月現在〕
検査数値 (CD4・RNA)

〈2018〉
450ぐらい・検出値以下 (2/7)
〈2016〉
450ぐらい・29(5/25)
〈2015〉
369・検出値以下(6/8)
〈2014〉
269?・32(4/7)
169・20(3/10)
121・20(2/10)
〈2013〉
110ぐらい・74(12/16)
97・? (11/25)
81・460 (10/7)
155・4000 (9/13)
30・430000 (9/5)
48・? (8/15)
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