これが僕のHIVとの生き方

2013年8月にエイズを発症したHIV患者の闘病記です。日々の生活と素直な気持ちを綴っています。

2020年12月

母と僕とHIVの8年目の関係

どの記事が読まれているのか
僕は確認ができる。

読者の興味は
HIV闘病を僕がどう始め
その時にどう感じていたのか
と同じく


“母への告知がどうであったか“


この二つはいつも
読まれる記事の上位にある。

どう始めたのかの記載があれば
今がどういう状況なのか
今日は自分でも整理しながら
書くつもりである。



7年前、僕はAIDSを発症し
HIVであると医師に告知された。

その時は入院しており
個別の対話室で医師に告げられた。

担当医からは今後のケアや
障害者などの手続きも含め
母への告知はすべきではないかと
意見された。

体調が次第に安定し
深夜の真っ暗で静かな
病棟の談話室で
外のコンビニの光を見つめながら
ゆっくりと時間をかけて
考え続けたのを覚えている。

そして数日後に
僕は母へHIVだと告げた。



僕は母と共に進んでいる。

エゴであった。
完全に。



薄々は感じていた。
自分の甘え。

それを鮮明にさせたのが
父が亡くなった時である。

HIV闘病を初めて
2年後である。

遺産分配の話になった際
母は僕に何も与えないと
僕に言い放った。

HIV患者だから
ではないのだろうが

僕がHIV患者ではなければ
母がその言葉を乱暴に
僕に投げかけなかっただろうと
僕は思うのだから

きっとその一因に
HIVがあったのだろう。

これを機に
一時は母と決別したのだが

家族という関係性と
患者と保護者という関係性を
混同すべきではないと
僕は考え始めた。

家族は常に
あるべき関係だけれども
保護者は違う。

患者が1人で歩けるようになれば
それを支える必要はないのだ。



5年経ったあたりから
通院の話題になると

『いつか治る日が
来るといいのにね』

と言うようになった。

希望とか悲観とか
何とも言い難いニュアンスである。

なるべく希望につながるよう
僕は新薬や薬の進化や
自身の症状の安定で
母を安心させるように
心掛けていた。



7年経つと
そのような内容も
僕に言わなくなった。

毎日毎日を重ねるうちに
HIV患者であろうと
僕は僕なのだと
受け入れてくれているのだろう。

もうこれ以上
HIVを挟んで
僕と母の関係性は
良くも悪くもならない。


そう考えると
それなりの時間がかかったが
僕と母は最終地点に
たどり着いたのではないか。

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通院と転院、来年の治療体制へ

水曜は通院日であった。


内科と消化器内科の

転院先である

中核拠点病院へ。


県で最も大きい病院である。




まずは内科。


ここに通っていた3年前の担当医が

これからの担当医となる。


8以前のカルテを見ながら

その間の変化がないか

こちらから何かないか

問診を受ける。


地元に転院する前の経緯を

知っているだけに話がスムーズである。


診察がてら

担当看護師を紹介される。


転院する前の看護師は

退職されて

かつタイミングを同じくして

僕も転院した為

その後のHIV担当看護師を

僕は知らない。


HIV治療は担当看護師は

医師と患者の間に入り

中継ぎをする。


よってどういう方なのか

探りながら

お互いに自己紹介をした。


この日は治療カルテのベースを作る為

診察後に採血、レントゲン、心電図を

撮るように指示を受けた。




担当医がなんだか疲れている


看護師が調べ物をする為に

席を外した間に

発熱した場合のフローを

事前に決めておくよう

言われた。


HIV治療はこの病院では

感染症科で扱われ

この科は呼吸器内科に属する。


その為、担当医は

この病院のコロナ外来患者の

責任者なのだとか。


疲れて見えたのも

それはそうだなと

つくづく感じた。


コロナ感染の可能性があった場合

まずはどこで診察を受けるか

どの時点でHIVを申告するか

僕は具体的に考えておかねばならない。




次に消化器内科へ。


消化器内科も感染症科と同じく

前回の担当医へ。


ここでC型肝炎の治療を行なった為

その内容を含めて

今の肝機能数値とこれからどうするか

考えられる。


担当医の反応は

あっさりしたものであり


転院前の病院で

調べられるものは

全て調べておいた為

特に詳しい治療ベースを

作る為の血液検査はなかった。


血液からの癌検査である

PET検査をするか否か

という話も上がったが


エコーで判断をしている為

これも不要となった。


半年に一度診察を受けて

エコー検査をしながら

経過観察で問題ないのだと。




診察は以上であるが

ここで終われないのが

HIV治療なのである。


帰り際に総合受付に寄った。

事務手続き担当宛に。


HIV治療は

障害者の治療制度の一部である

“更生医療制度”

という制度の上で行われる。


この制度では

治療を行う病院と

薬を受け取る薬剤局の

登録が必要である。


今回、病院が変わった為

この変更手続きが必要なのだが

医師の意見書を添えなければならず

『患者』『病院』『自治体』

の3者が双方に

やりとりする必要があるのだ。


ここで、この制度のややこしい点が

自治体によって、手続き内容が

簡素化されたり厳格化

されている点と


病院によって

どこまで病院側で手続きするかが

異なる点である。


病院側が僕の住む自治体に

変更手続きを進める傍ら

一年に一度必要となる

更新手続きも

今後、病院側だけで行えるのかどうか

確認をとってくれるようだ。


うまくいけば

平日に会社を休み

役所へ出向く必要がなくなる。


コロナの感染のリスクもあり

なるべく人の集中する場所へ

出向きたくないし助かる。


病院側が積極的に

患者側の手続きに

踏み込んでくれる体制は

ありがたい。




次回は三ヶ月後の診察。


たかが転院なのだが

あれやこれやと考えたり

実際にしなければならない手続きや

短期間で決断すべき内容もあった。


とりあえずひと段落で

安堵している。


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通院とHIVならではの転院での問題

水曜は通院日であった。

内科・消化器内科・皮膚科の診察。


病院に着いて

保険証を忘れたのに気が付いた。


印刷された診療科の用紙を見て

消化器内科の診察採血

あったのに気が付く。


ダメダメ、今日は。




まず皮膚科へ。


前回処方してもらった

スプレータイプに変更した

保湿剤のヒルドイドを

再度処方してもらった。


飲み薬はそのまま変わらず。


ステロイド剤であるネリゾナは

今の皮膚状況から

頻繁に塗る必要があり

今回は処方してもらった。


転院する旨を皮膚科の担当医に伝え

では今後をどうするかを話し合う。


地元の皮膚科は

診療報酬をかせごうとする傾向が強い。

個人病院ならではで顕著であるのは

仕方ないのだけれども


HIV患者としての

不当な扱いを受けていないかを

常に通院時にアンテナを張っている為

僕はこの傾向が鼻につくのである。


僕がまだ通ってなく

かつ診療体制が良さそうな病院が

一件あり

そこへ転院しようかと伝えた。


最終的な返答を2月に先延ばした。


内科・消化器内科を

どこに転院するかで

皮膚科を決めたかったからだ。




次に内科。


前回、今の病院が

更生医療制度の認可が切れる為

転院の打診を受けた。


終診が来年の2月という話であったが

実は今回が終診となり

何をどこで診察するかの

準備をしていなかった為

迷いと焦りが生じた。


HIVの治療

CPAPの経過観察

・消化器内科

・皮膚科


この4つをどうするか

具体的に決めなければならない。


大病院を2箇所も掛け持ちで

有給を通院に当てるつもりはない。

その為、夕方や土曜の診察のある

個人病院を探すのだけれども

紹介状にHIVの内容が含まれる。


田舎の病院と患者の距離は近すぎる。

なおかつHIV患者は

まだまだ珍しい存在であるがゆえの

不当な扱いを受ける場合だってある。


転院も慎重にならざる得ない。




まずHIVの治療は

中核拠点病院で治療をする。

通院に車で1時間40分を要する。


近隣の拠点病院は

治療できる医師が1人しかいない。

これは病院の方針である。


この医師の治療に対する考え方が

僕には合わない為

遠方の病院の選択しかない。


彼の癖というか悪評は

他の病院の医師も理解している。

しかしながら

現状はどうにもならない。




次にCPAP


CPAPは治療の継続ができる為

医師に継続を打診されたのだが

上記に述べたように

大病院の通院が二箇所になるのは

その分、会社を休む日も倍になる為

僕には難しい。


HIVの治療と合わせて

CPAPの治療を受けられないかと

前回の通院の際に

こちらから訴えたのだけれども


中核拠点病院から

できないと断られた。


そうすると土曜診療のある

近隣の個人病院に紹介となるが

ここでも問題がある。


採血をする場合がある為

紹介状にHIVの内容を

記載する必要があるのだ。


医療従事者の認識では

患者に対する医療提供者側の

不当な扱いはないというものだ。


しかし、現状はそうではなく

まだまだ批判的な態度を受ける場合が

まれにある。


僕自身、医師や看護師が

全く目を合わせないし

体さえもこちらに向けない

といった扱いを受けた経験がある。


もっとも近隣の病院は

田舎ならではの

地元に寄り添った医療の為


本心はその信頼している医師に

診てもらいたいのだけれども

考えられる問題を避けるべきである為

これも距離のある個人病院を希望した。


そもそもCPAP治療ができる病院か否か

土曜診療しているか、診察時間帯がどうか

僕の希望にそう病院を探す必要があり

この日の返答は時間の都合で後日となった。


先にHIV患者である旨を

病院に打診して

それから受け入れるかどうかを

先方に確認して欲しいと

僕が伝えていた為


後日、いくつかの病院を

ピックアップして頂き

なんとか病院選びができた。




消化器内科は

消化器の担当医師と

血液検査の結果を見ながら

転院の件も伝え

説明を受けた。


このところ肝機能数値が

経過観察を必要とする程

よろしくない。


しかし、前回の10月の数値から

やや改善されており

問題はないだろう

という見解であった。


体脂肪も実感で落ちている為

トレーニングの減量期が始まると

これを機に改善するだろうと

安堵している。


消化器内科も中核拠点病院の

消化器内科へ紹介して

頂けるようになった。




この日は待合が長くなってしまい

ソファーで待っていると

皮膚科医に声をかけられた。


転院の件である。


近隣で評判の良い

病院へ移る選択肢もあるけれども

拠点病院の近くの病院で

HIV治療の診察の際に

ついでに通院したら

どうかという打診である。


これは看護師から

こういう選択肢があると

意見を受けていたのだが


今の皮膚科医が中核拠点病院からの

派遣の医師であり

その周辺の個人病院であれば詳しい。


よって紹介も

質の良い病院へ案内ができる。


今は決断する必要がないので

返答は2月まで待って頂き

いくつかの病院を書いた

メモを受け取った。




後日、HIVおよび消化器

そしてCPAP治療の病院への

紹介状を受け取り


とりあえず、来年からの

治療体制が具体的に固まった。

一安心。




記載した通りに

まだまだHIVゆえに

不当な扱いを受ける。


この現状の中でも

確実に寄り添ってくれて

味方になってくれる医療従事者もいる。


人のありがたみが

HIVになって初めて

つくづくとわかる。


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通院前日の心理

明日は通院日。

先々月に通院していたのもあるし
来年度には今の病院から
中核拠点病院へ転院する為
特にこれといって特筆すべき
ものは何もない。

強いてあげるとすると
抗ウイルス薬の処方を受けるぐらい。
肝機能数値が規定基準より
大幅に高いのも
これといって
すぐ改善するものでもないし。



とはいえ
僕は通院日の前の日となると
なんだか落ち着かない。

前夜の平日で皆が寝静まった
静かな夜の時間を遅くまで過ごす。

もうHIV闘病が8年目
となるのに。



12月1日は
世界エイズデーである。

毎年この日になると
HIV感染が告げられ
深夜の病棟の
真っ暗な待合室で
ひたすら外を眺めていた日を
僕は思い出す。

あの頃は体調不良もあり
目の前の一日一日を過ごすのに
精一杯であった。

このブログを綴っていたせいか
数年後の自分自身を想像していた。

あの頃の想像上の自分自身が
今の僕となった。

七年も経過して
目の前の現実に目を背けたい
気持ちは相変わらずのままである。

結局のところ
あの頃も今も
僕は僕であるからである。

しかしながら
目の前に問題が立ち塞がった時に
それをどう解決してよいか
立ち止まってしまう場合

背中を押すものが
”情報”

なのだと僕はもう知っている。

物事を判断する為に
必要な情報量である。



HIVに感染してようとも
幸い感染してなくとも
人は人である。

尊厳は何も変わらないし
それをHIVウイルスは
奪えはしない。

だけれども
命を奪われる可能性があるのが
残念な現実である。

いくら抗ウイルス薬が進歩して
副作用が年々
少なくなっていたとしてもだ。

恐怖心からHIV検査を後回しにて
状況が悪くなってしまうのは
馬鹿馬鹿しくない?

迷ってしまうのは
当たり前である。

僕も怖くて検査の現実に
向き合えなかったからだ。

もしHIV感染していたとしても
あなたが勇気を出して検査した状況を
自身に感謝する日が
数年後には必ず訪れる。

AIDSを発症して
闘病7年目を
迎えた僕が言うのだから
間違いないはずである。

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プロフィール

ぽけんた

1982年生まれ、九州在住、HIV患者。2013年8月15日に〈いきなりエイズ〉を発症。闘病の記録と正直な気持ちを綴っています。見て頂いた方のお役に立てれば良いです。

服薬
【抗ウイルス薬】
ビクタルビ
【その他】
ネリゾナ軟膏
〔2023年1月現在〕
検査数値 (CD4・RNA)

〈2018〉
450ぐらい・検出値以下 (2/7)
〈2016〉
450ぐらい・29(5/25)
〈2015〉
369・検出値以下(6/8)
〈2014〉
269?・32(4/7)
169・20(3/10)
121・20(2/10)
〈2013〉
110ぐらい・74(12/16)
97・? (11/25)
81・460 (10/7)
155・4000 (9/13)
30・430000 (9/5)
48・? (8/15)
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