「不幸のどん底か?」

HIVにおいての幸福尺度とは。
日々考える中で
幸福尺度がある。

今の闘病生活が
不幸のどん底かどうかだ。

今の自分が今を計った時に
果たしてどうだろうか。



AIDSを考える時がある。
HIVではなくAIDSだ。

闘病が始まってもうすぐ一年になる。
一年という境目が近づくにつれて
AIDSの発症を考える。

僕とHIV。
AIDSと僕。

命。
これまで。
これからの将来。
今。

HIVのある生活を送っている。
非常な日々が平常になってしまった。

あれだけ非常だと考えていたものが
自分の中で平常になるのだから
なんとも不思議なものだ。

HIVが故に掴めないものがある。
現時点でも模索して進んでいる最中だ。
ただ全てが掴めないものではない。

幸福尺度についてはまさにだ。

いくらHIVとはいえ
不幸のどん底とは言い難い。
苦労もあるが乗り越えられるものがある。
苦難の中にも幸福なものもある。

もしかするとこれは
“HIVを患っている”
からの考えであり感情かもしれない。

健常者から見たHIVと
患者から見たHIVは違う。



HIV検査を先送りにする
意味はあったのだろうか?

AIDS患者であってもベストな日々を
送るようにしている。
HIV患者であるともっと
ベストが尽くせたのかもしれないと
時々僕は考える。

AIDSを発症しその日を境に
準備の時間がないまま
次を決断する生活が始まる。
命の危険があるからだ。

AIDSとHIVは
患者自身が通る道が違う。
“決断までの時間”も一つだ。

一年前、AIDSを発症した時に
もしも命を落としていたなら。
まさに不幸であったと
つくづくと僕は考えるのである。

今に続いて来た道は
決して幸福ではないものの
一方で不幸でもない。

HIVに感染しているとしても
今に続いてきてさらに
将来に続こうとしているからだ。

過去の僕はもっとベストな今を
続ける方法を早く取るべきでは
なかったのだろうか?



これがAIDSを発症して一年経った
僕の率直な考えである。

検査をすべきだと自身で思うのならば
やはりあなたはそうすべきだ。

結果の果てに一時的などん底が
あったとしても必ず検査に踏み切れた
自分自身に感謝する時が来るはずだ。

AIDSを発症した僕でさえ
そんな状況でも決断して進む自分に
感謝する時があるのだから

あなたはもっとベストを尽くして
大きい感謝に包まれる時が来ると
僕は信じている。

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