「“幸せ"って何ですか?」

自分の幸せって何ですか?
相手の場合はどうですか?
究極の選択でどう掴めば良いですか?
考える時間も余裕もなかったら?

大きいものを犠牲にして
”幸せ”を掴んで行けるのでしょうか?

それでも掴ませて
いきたいからこそ
私達家族は悩んで
進んで行くのだと思います。



日曜の3時から4時の時間。

昼間の強い日差しが
段々と角が取れてきて
丸い夕方の日差しに変わる時間だ。

この一時間が一週間の中で
最も哀愁を僕は感じるのだ。

休日の自分から
仕事の自分へ変わろうとする。

否が応でも
角の取れる日差しと
刻々と過ぎる時間に
明日からの仕事を考えざる得ない。
そして明日を迎え
仕事の自分に変わっていく。



『実感が湧かない』

夜に誰もいなくなった
リビングのテーブルで
母は僕に言った。

それは僕達も同じだと
僕は母に告げた。

考えて決断しなければならないが
事の大きさに
大き過ぎて受け止められず
今ひとつピンと来ない
というのが正直な感想である。

家族と話し合う機会が増えた。
ただ誰一人現状を正しく掴めず
内容が的を反れてしまう。

とりあえず足下にある石を
ただやみくもに投げ続ける
ようなものだろう。



AとBと二つの選択がある。

どちらも間違っており
どちらも正解である選択肢だ。

Aという選択肢を皆は考えている。
しかしBという選択肢を
僕は提示し続けている。

闘病を経験して
乗り越えて来たものがあるからこそ
提示する選択肢と考えだと思う。
”諦めと受け入れ”が大事だと
知っているからかもしれない。

だからこそAを選択し続けるのではなく
AとBを同じテーブルに置いて
当人にどちらからの究極の選択を
してもらう必要があるのではないか。

その先に”幸せ”があるのではないか。

誰かが何かしらの判断で
この選択肢を選ぶ時が来る。
いづれか…。



僕達は休日の昼間にまだいる。

明日を考えずに
昼間を過ごしていても

三時を過ぎて
角の取れた日差しに
明日を考えさせられて

誰もが摂るように
僕達家族も夕飯をとり

夜には明日の準備をして

朝を迎え
ベットから出て
朝食をとり
仕事へ向かう。

どんな状況でもどんな心境でも
明日を迎えるものは明日を迎える。

それが自然の道理で
当たり前の現実なのだ。

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