「HIVが個性に
組み込まれているのではないか?」

ふいに考え始めた結果
その結論に至った。

病気である現状が
日々馴染んでいくような
気がしてならない。



会社での自分と
自宅での自分を
僕は分けて考える癖がある。

会社での自分は
演じている姿だ。

ぐいぐいとその自分が
良い方向に改善している。
改めて自分を見つめ
驚くほどに。

その驚きから
以前の演じた僕と
今の演じた僕の
両者を比べた。

相手の内部から何かを得る為に
人と話すようになった。
人の短所よりも
長所を見るようになった。
他人を口撃しなくなった。

その他も多々ある。

丸くなった自分は
年のせいかとも考えた。
しかし年よりも
AIDSの経験が大きい。

一般人が経験しないような
経験であった。
それ故に異なる視点で
物事を見つめ考える。

会社の人から
『人と違う』と
思われている。

良い意味で言われた時もある。
人の行動から感じとれる。



“経験”が僕を造っている。

経験を得るからこそ
今までとは異なる目線で
物事を考える。

他人がしないであろう経験で
僕は独自の目線で
目の前の物事を見つめる。

他人と分岐して
僕は僕として進む。

それは個性と
言えるのではないか。

“馴染む"という
ものなのでは。

HIVが僕の中に
複雑に組み込まれている。



HIVを患ったのは
人に誇れるものではない。

このような状況は
ないに越したものはない。

仕方ないと投げやりな感情で
物事を諦める時も多くある。

その反面に得たものを
最近実感する瞬間も
増えてきた。

そのうちに
"もしもHIVに
感染してなかったならば"
と仮定しなくなるのではないか。

その仮定を
考えられなくなるのではないかと
僕はこれからの自分を想像する。

“馴染む"

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