”ない”なら”ない”を楽しめ



つけ流したテレビから
そんな言葉が発せられた。

鋭い槍が
僕の体を突き抜けた
感覚だった。

木梨憲武とヒロミと
藤井フミヤが旅をする番組。

木梨憲武と安田成美
ヒロミと松本伊代。
バランスが釣り合ったような
それぞれの夫婦に対し
藤井フミヤが羨みを口にした。
反論として粛々と
ヒロミが言い放ったのが上記である。

突き抜けた体の傷を見つめ
僕の“ない”とはを考えている。



心をえぐられたような感情に
僕はよくなる。

自分の胸に穴が空いたような
ぼこっとそこだけ凹んだような
”足りない”という感情だ。

HIVだとわかって
得られなくなったもの
捨てたものがある。

それ故に、穴や凹みは
もっともな感情なのだろう。

穴埋めをする為に
形の合わない積み木を
ぐりぐりと押し付ける。
今はその状態だ。

何かに取り憑かれたように
仕事に打ち込む。
リミットを超えたように
仕事に熱意を注ぐ。

認めながらも異常だと
周囲から思われているのは
僕自身が空気でわかる。

それでもまた
限界を越えようとする。

自分が自分として
立っていられるのは
僕には仕事しかないからだ。

しかしながら
死ぬ気で汗水流しながら
熱意を注いだところで
仕事のない日は本来の自分に戻る。

仕事で埋めていた穴が
ぽっかりと開く。



“ない”とは何か?

健常者にとっての”ある”と
自分にとっての”ない”とは。

“ある”前提で
考えているのではないか。

“ない”という状況を
理解しているようで
根元は理解できずに
いるのではないか。

HIVは消えないのだから
独自の考え方、理解の仕方を
僕は構築しなければならない。

前向きに生きるとか
受け入れて生きるとか
文字にすると簡単だ。
葛藤があって時間がかかる。

しかし結局のところ
”ない”なら”ない”を楽しむ
に尽きるのではないだろうか。

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