『笑う余裕を持ちなさい』



ほとんどテレビを僕は見ない。
カーナビでテレビを流し見るぐらいだが
先日亡くなられた永六輔さんの
追悼番組に見入ってしまい
車を停めて終わりまで見続けた。

浅田飴の印象が強く
永六輔さんの"遠くへ行きたい"の
ひょうきんな彼が
僕には新鮮に映った。

その長寿番組を凝縮して
追悼したものだったから
つい見入ってしまったのだ。

番組は30代だった時の彼から始まり
次第に年を重ね
終盤になると車椅子での収録になった。
街も人も"時代"を感じるものであった。

永六輔さんと瀬戸内寂聴さんとの
会談公演の模様が流れた。

その公演のなかで彼は言った。
『この中にも苦しい人や辛い人は
いるかもしれないけれども
その中でも笑う余裕は持っていたいね』

この言葉は僕に残った。



笑い続けると頬の筋肉が疲れる。

その度にどれだけ自分が笑ってないか
人と距離を置いて静かに暮らしているかを
僕は実感してしまう。

以前の生活を思い出す。
健常者の頃の薬に縛られない生活。
折り重なるように価値観が溢れる都会。

田舎ではそうはいかない。
一般的から外れると受け入れられない。

薬を服薬する身体の負担や
HIVである事実への心理負担。

人間関係を築く為には
健常者を偽る必要もあるし
時には副作用があっても
無理を強いられる。

回避しようとすると
代償に距離が出てくる。



HIVを患っていると
不当な判断にさらされる時がある。

時には命の重さを他人が決め
死ねと言われたりもする。

他人の幸せが眩しく映り
自分が一般的に生きたかったと
後悔に似た悲観を繰り返す。

どれだけ考えたところで
僕は僕はとして何も変わらず
HIVも同性愛者も何も
向き合う事実は変わりやしない。

こんな状況下であっても
いつ何時でも"笑う余裕"は
持っていたいものだ。

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