今日からHIVウイルスと
4年目の付き合い。

4年目。5年目。
さらには10年目。

当時は
目の前の現実を向い合うので
精一杯であった。

なんとか向かい合わんとする
合間の余裕に
遠い未来を
想像していたっけな。

今、僕は
HIVをどう見て
どう感じているか。



2013年8月15日。
僕はHIVを告知された。

外来診察の処置室で
起き上がれない程
衰弱していた。

ベットに横たわる僕に向かって
担当医は”HIVの可能性がある”と告げた。

自分が踏みしめていた地面が
告知を境に天井になるような
気持ちであった。

しかしながら
心理的なショックはなかった。
不思議なもので
不明確から明確に変わった
安堵感があった。

告知の日の状況を
未だに鮮明に僕は覚えている。

HIVウイルスが血中に入り
骨髄や脳の奥まで入りこむように

HIVである事実も
自分の心の奥に入りこみ
溶けて馴染むのだと
当時はよく想像していた。

既成事実はわかっても
年を重ねてHIVウイルスと付き合う
患者本人の気持ちは
思考を凝らしても
わからなかったから。



告知から三年が過ぎた。

HIV感染したのが不幸とは感じない。

医療制度のおかげで
生活は続けられる。
また、進歩した治療により
副作用もなんとか
乗り越えられる。

山の頂上が
人生の最終地点とするならば
Aを通るか、Bを通るか
なのだと思う。

HIV感染をするか
ただしないかぐらいだと。

HIVウイルスに感染したところで
僕は僕に変わらない。

他人は勝手な判断をしているだけで
僕の尊厳は以前と同じであるからだ。

HIV感染者差別があったとしても
周囲が事実に目を背けているだけだ。
目の前に増殖するHIVウイルスに。

HIV感染はただの
人生の過程に過ぎない。

感染が終わりではなく
告知からも人生は続き
どこかへ向かっていくのだ。



衣食住。

健常者が当たり前のものと
捉えるように
HIVウイルスと付き合うのは
僕にとって当たり前である。
服薬も、副作用も、通院も
何気ない生活の一部である。

三年も過ぎると
健常者であった時の感覚なんて
すっかり忘れる。

口の中で角ばった飴が
徐々に角がとれて丸くなり
最後には溶けてなくなるように

HIV感染者としての
既成事実もまた
自分の中に溶けてしまう。

HIV患者とか障がい者と
言われると
あぁ、そうだっけと
改めて我にかえる。

どこに属そうとも
自分は自分には
変わりはないからだ。

自我も、意識も、尊厳も。


HIVに感染した結果
年月を重ねるとAIDSを発症する。

どれだけ医療が進歩しても
発症した結果亡くなる方が
いるのは事実だ。

死亡する可能性の反面
多くの患者が生きながらえるのも
事実であり

僕のように年月を重ねると
HIVと生きるのが当たり前だと
生活を送り続けるのも
また事実だ。

AIDS発症の結果
命を落とすのは馬鹿馬鹿しい。

治療が進歩して
生きながらえる可能性が大きいのに。

たかがミクロのウイルスの為に
無限に広がる自分の命を
捨てる必要はないのでは?

検査が必要だと思う方は
検査をして欲しい。

HIV感染を知った後
どんなに苦悩があっても
いつかは早期発見できた自分に
感謝する日が必ず来るから。

HIV感染者であっても
"あなた"は
"あなた"のままだ。
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