告知しなければ
今頃どうしていたのだろうか?

HIVを告知すべき
だったのだろうか?

しなければ
よかったのではないか?

度々、僕はそう考える。

このブログを開設して以来

“僕がどうHIVとの闘病を始めたか”
“母にどう告知したのか”

この二つは
よく読まれている。
きっと読者は関心を引く
内容なのだろう。



闘病を始めた当初
母に言うか言うべきでないか
医師と考え抜いた結果
告知に至った。

自分の内側のどこかで
母は味方でいてくれると
幼児のように甘え
信じきっていたからだ。

闘病の壁を乗り切ったのは
母の支えもあったから
かもしれない。



父の死後”遺産”の問題があった。

それが分岐となり
母と僕は
同居しているのも関わらず
月に二度三度しか
顔を合わせない関係となった。

母に一切の相続を
認められなかったのは
HIV患者である事実もまた
一因だったと考えている。

苦労を乗り越えてきた
今の自分の現実を
否定されている気がして
ならなかった。

これまでの全ての苦労を
知っているのは
母だけだったのに。

母いわく
遺産は後世に残したく
子供がいなければ
相続の権利がないんだと。

そんな回りくどい表現しなくとも
『HIVだから』の方がよほど
僕は納得できたのではないか。



“母への告知”を考える。

患者と家族。
僕と母。

抗ウイルス薬を定時に服薬し
その日の副作用とも
付き合っていく。毎日。毎日。

HIVが馴染んで
自分が患者である事実さえも
実感しない時が多い。
当たり前の現実だからだ。

母は違う。
非現実なものは
数年経っても非現実なままだ。

同じスタートラインから
進み始めたものの
少しづつ差が生まれ
分岐点が決定打になり
今や真逆で対称となってしまった。

それが
”顔を合わせたくもない”
との結果だろう。

僕が母を信用できなくなり
今や受け入れがたい。

告知が正しかったのだろうか?

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