結論から書くと

僕の三度目の転院は
”制度”の落とし穴にはまり
結局流れた。



今日は通院日。

”転院するか否か”
”そもそもゲンボイヤを
継続するのかどうか”

一ヶ月考える時間をもらった。
結果を出す期限が
今日の通院である。

抗不安薬のロフラゼプを
服薬し精神状態は安定している。
しかしながら薬での安定と
満たされる感情との違いを
痛感し始めている。

越えない壁は壁であり
満たされないものは
結局変わらないからだ。

院内ではHIV患者であっても
一歩外を出ると僕は人のような
皮を被った何かでしかない。

なんだろうか
この感情は。

変化を与えると
バランスを取るために
他も必然と変える必要がある。

”転院”がそのきっかけになるのでは
と考え始め考えた結果
”転院とゲンボイヤの継続”を
僕は選んだ。

近くの病院に
頼れるような医師がいて
中核病院と連携して
HIV治療ができるのであれば
そこで治療する方法も良いのではと。

転院先の医師も受け入れるよう
動いて頂いているようで
現在の病院と転院先との
段取りを決め帰宅の途についた。



自立支援制度の更新が必要であり
会計待ちの時間での
ソーシャルワーカーとの対面から
急に転院に対する天候が悪くなった。

HIV治療の医療費負担は
障がい者支援の制度の中の
”自立支援制度”という制度が
多くの場合に使われる。

さらにそこから
市町村の福祉制度の
利用ができる。

更新や通院の病院
さらには抗ウイルス薬が処方される
薬局の変更手続きが都度必要である。

手続きに詳しい
ソーシャルワーカーが不在であり
転院にともなう変更手続きは
わかりかねる返答を受けた。

対応して頂いた方が
あまりにも無知かつ不誠実であった。
その為、僕が役所に確認したところ
転院先の病院は登録ができないのだと。
県としての治療の認可を
していないのだとか。

そうなると
福祉制度により負担金額の
返還はあるものの
一旦、高額医療費制度を
使わざる得ない。

わかりやすく書くと
HIV治療における
自転車操業のような状態だ。

感染症科に戻り
転院を保留状態にし
現状維持にした。

自転車操業ながら
医療費の心配まで
抱える余裕はない。

僕も医師も担当看護師も
”制度”の穴にはまったわけだ。



転院先の医師が
県に申請を出しているようだ。

薬の処方ができるようにと。
それと共にして
自立支援制度の落とし穴まで
考えていたかは定かではない。

5月に県が審議し
いつかは結論が出る。

中核病院の連携したバックアップがあり
HIV治療経験のある医師がいながら
患者主体の治療ができない現状が
田舎にはある。

”病院の決まりだから”
と最寄の大病院のHIV治療は
その医師しか担当をしない。

一癖も二癖もある医師ながら
我慢できなければ遠くの他にどうぞ
というのが僕の住む街の現状なのだ。

県を動かし認められれば
この街のHIV治療に”選択”が生まれる。

この街も患者自身が
病院や医師の選択できる状況下で
かつ患者主体の
HIV治療であるべきではないか?

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