春の風が吹くようになった。

桜は散り去り
若緑の新芽を出している。

ツバメが飛び交い
玄関口に巣を作り始めた。

これからも春が来るたびに
僕は父がいなくなってから
何度目かと数えるのだろうか。



姉の仔犬が骨折をした。
術前の説明と容態確認が
姉の出張と重なった為
先日、僕が病院へ連れて行った。
その後は母がかかりっきりで
姉の家で仔犬の面倒を見ている。

実家では
月に一度か二度程度しか
母と僕は顔を合わせない。

生活時間帯が異なるのと
特に会う用事がなかった為だ。

顔を合わせて
真面目な話をするのは
何年振りだろうか?

父が亡くなった後の
母の心境の整理がどうなのか
僕は母にぽつりぽつりと
問いただした。

僕はいつかの記事で記載した通り
父の死について”息子”の視点と
”患者”の視点とが交差し絡み合い
うまく遺族としての整理が
つけられないでいる。

それゆえに以前から
母の心境に興味があったのだ。

母は”期間”を考えていたようだ。
自分がこうしていれば
もう少し長く
生きられたのではないかと。

僕が引っかかっているのは
“質”である。
期限付きの命をどう生き抜くかは
本人が決めるべきであり
家族といえども決めるべきではない。

限られた時間で何をしたいか
できないものをできるうちに
やらせるべきではないか。
家族が決めて良い範囲を
越えていたとしか
僕には思えない。

何もかも僕は自分で
治療を決めている。
父には余命も病状も何も伝えない
反面、自分は決めている。
卑怯とすら思えてしまう
と母に僕は告げた。

母は頷くでもなく
否定もせず
肯定もしなかった。

おそらく話を深めても
何も得られないだろうと
浅いうちに話を終わらせた。

ある程度の整理は
ついているのだろう
とも思えたし。

引っかかっているものが
”期間”か”質”か違うもの同士が
意見交換したところで
交わるはずがないからだ。



あれから数日が経った。

仕事をしながら
父の闘病を考えた。

看病や治療の全てを
任せられる人がいるならば
それはそれで幸せなのではないか。

事実に対面できない父は父で
母が事実に対面して決断する。

今まで僕は何もかも
決断し続ける自分が
卑怯者としか思えなかった。

よくよく考えたら全てを放棄し
嫁に命すら無言で一任させ続けた
父の方が卑怯だと思えてきた。
向かい合うべき事実から
最後まで逃げ続けたのだから。

結局のところ
父と僕を天秤にかけたら
50:50でどっちもどっち
ではないだろうか。

一人で塞ぎ込んで
考えてきた自分が
馬鹿馬鹿しく思えてきた。

だいたい告知も何も
自分の体や命だから
自ら医師に聞かない?
何もしないってなに?
母が全部してくれるからって
全部任せても闘病中はもちろん
死後も色々と疲れるの。
あんた死んでも家のローンはあるは
相続で不仲に陥るは。何、何、何。
ぶつぶつ…。



母に僕の病人かつ
遺族としての考えを伝え
また母から夫婦かつ遺族としての
心境を聞いた今回の行為は

僕が僕の壁を越える為に
必然だったのではないだろうか。

ゆっくりゆっくり
ほぐしてきた何かが
またひとつほどけた。

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