『何時頃帰ってくる?』

『今日お母さんの誕生日
祝いをしようと思うんだけど』

姉からLINEが入った。 

「今日は帰りが遅くなるから
みんなでやっていいよ」 

『そっか、わかった。
アルバム作るから写真送って』 

通知で内容の確認ができた為
内容の返信どころか
僕は既読すらしていない。

いやいや。
あなた方。



昨日は母の誕生日祝いを
皆でやったようだ。

僕は習い事があり
帰りが遅くなる為
皆でしててと返信をした。

むしろ乗り気でなかった為
習い事という断りがあって
助かったという心境である。

母とは
”お互いに誕生日祝いなんて
しないでおきましょう” 
”むしろ、もう忘れましょう” 
という暗黙の了解がある。

だから僕はもう祝わない。



父の生前の話なのだが
誕生日を忘れられた時がある。 

その頃はまだまだ免疫値が低く
非加熱のものは摂らない
食事制限をしていた。

”食べたいのに食べられない”
という障壁を想像していたのだが
実際に行うと予想だにしない
問題が浮き彫りになった。

家族の団欒で
非加熱食品だから食べられない
と断ると

『それぐらい食べて大丈夫!
神経質すぎるんだ!』 

といった根拠のない
無神経な主張が飛んでくる。 

何度目かで怒りが爆発し
後々は家族と食事を摂らず
自炊するに至った。

そんな時に僕は誕生日を迎え
 ”今夜は夕飯全てが加熱食品で
皆で同じものを摂りたい”
と願い出た。

このささやかな願いは
打ちのめされた。

『今日誕生日?忘れてた。
今日は〇〇(姉)と
向こうの両親と食事に行くの。
冷蔵庫に肉入ってるから
それ自分で焼いて食べて!』 

と予想だにしない返答があった。
誕生日は祝ってもらえると
信じていた自分が滑稽であった。

両親が帰宅してから母に
『どうせ来年もあるさ』 
と声をかけられた。

その言葉を受け
怒りがこみ上げ
何かを言ったのだが
内容は覚えていない。

年明けに父が亡くなった為
”どうせ来年”の来年は
いつになっても来ない。 



先月は、 僕の誕生日があった。

誕生日はこういった
全てのしがらみから離れる日
と自分の中で決めていて
夜遅くまで遊び呆ける。

母から
『誕生日おめでとう』
という短文が送られてきたが
返信はしていない。

もうなかったもので
いいじゃん。
今更。



この状況を毎年
僕達は繰り返している。 

たかだか
しょうもない話なのだが

このくだらなさの中に
自分の精神的な
限界だった時の苦悩と
父がいなくなった寂しさとの
間で渦巻く怒りの感覚に

くだらないものが
くだらなくなくなり

挙句、逃避という行為が
今はもう心地いい。

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