『相手に傷があって
あなたも傷があり
お互いに触れた場合に
感染してしまう。

この万が一の可能性は
ゼロではないのだから触るな!』

この指摘は 
湧いて出る。

その都度
うんざりさせる。

化石のような人がいて
さらに生きる化石が
正論なのだと
人々は信じ込んでしまう。

人々の誤りと悪意は
集合体となる。

一つ一つを冷静に見ると
誤認識や悪意を
判断できるのだろうが
絶対的な数で形成された集合体は

やがては”正論”になる。



抗ウイルス薬を
一錠に変えて
随分と服薬負担は減った。

キードラッグとブーストの
四錠が一錠にまとまったのは
想像以上に楽であった。

僕がHIV抗ウイルス薬を
服薬し始めた頃は
四錠の服薬であった。

ノービアという薬が
錠剤になっており
以前のソフトカプセル時は
薬を冷蔵保存する必要があった。 

当時の患者の方々は
泊りがけの旅行などは
苦労されただろうに。

海外ドラマのERで
医者がHIV感染をして
闘病を始めるシーンを
見た時は衝撃であった。

時代は90年代後半なのだが
デカデカとした薬瓶を
何本ももらうシーンがある。

朝昼晩とこれをあれをと
服薬指導を受けるのだ。

複数錠の服薬であっても
一日一錠である状況に
感謝しなければいけないと
感じながら観たものだ。

それから
一日三錠に変わり
今では一日一錠になった。

週に一度の注射で済むような
新薬の情報もあり
一日一錠すら
近い将来には
古い話になってしまうだろう。



ERでの医者であった彼女が
HIVが原因で解雇された状況は
何か変わっただろうか?

つまりは医療従事者が
HIV患者だった場合の
風当たりがだ。

20年前と
今とで。



U=U

Undetectable=Untransmittable

検出値以下=非感染



つまりは服薬をして
ウイルスを抑え込んでいる
HIV患者は
感染源にはなり得ない。

これは科学的に立証され
U=Uというものが最近になって
目にする機会が増えた。



可能性論ではなんとでも言える。

上記の病院での場合だと

みじかな人がたまたまHIVに
感染したばっかりで
お互いがたまたま傷があって
病院に向かう際に触れて
感染する場合もゼロではない。

病院でたまたまぶつかった人が
HIV感染してて
感染してしまう可能性も
ゼロではない。

売店でお釣りを
受け取った場合に
店員がHIVで
感染してしまう可能性も
同じくゼロではない。

つまりゼロにしたけりゃ
家から出るな!
である。

馬鹿馬鹿しい。

しかしながら
可能性論で語ると
上記も当てはまり
可能性を確実に無くすには
人が感染源になる上では
人と接するな!である。



患者が社会生活を送る上での
問題解決を支援するのが
ソーシャルワーカーである。

病院によって
ソーシャルワーカーの
認識が異なるのは
転院により経験している。

だからこそ
支援の大きさや支援者のあり方を
実感するに至っている。

その上でHIV患者が
ソーシャルワーカーになっても良いと
僕としては考えているし

むしろ、患者として生きる上での
社会の絶対的な壁を
経験している者こそが
なるべきではないだろうか。

ソーシャルワーカーの中には
淡々とただただ事務的な
説明で済ます
ソーシャルワーカー風の事務員が
混じっている。

だからこそ経験者が
社会と患者を繋ぐ必要が
あるのだ。

何が間違っているのだろうか?

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