先週は通院日であった。
いつものように採血し
内科、消化器内科の受診と
HIV闘病9年目となると
特筆すべき内容がなに一つない。
内科は3ヶ月に一度
採血し薬をもらい
消化器内科は半月に一度の受診
かつ年に一度の
肝臓のエコー検査である。
一般的にHIVとなると
まだまだ偏見が大きく
いわゆる“大ごと”なのだけれども
当の本人は一般人と同じ感覚で
静かに何事もなかったように
暮らしている。
12/1は世界エイズデーであった。
最初の数年は僕なりに
検査を促す記事を記載していた。
抗ウイルス薬が進歩してもなお
エイズを発症して死亡したり
又は後遺症が残る場合があるからである。
そうならなくとも
エイズ発症により命が緊迫すると
周囲に告知せざる得ない場面もある。
僕がそうであった。
年々、自分自身がHIVである実感が薄れ
発症しHIVだと医師から告げられた時の
鈍い痛みのような感覚がなくなっている。
大ごとを大ごとだと
思えなくなっている現状では
HIV啓発だなって大それた内容は
書く資格がないのである。
あの頃は10年経つとHIVに関して
どういう感情を抱くのだろうかと
病室のベッドで考えたものだ。
あと2年で闘病が10年。
15年、20年経つとどうなるだろうか?
いつものように採血し
内科、消化器内科の受診と
HIV闘病9年目となると
特筆すべき内容がなに一つない。
内科は3ヶ月に一度
採血し薬をもらい
消化器内科は半月に一度の受診
かつ年に一度の
肝臓のエコー検査である。
一般的にHIVとなると
まだまだ偏見が大きく
いわゆる“大ごと”なのだけれども
当の本人は一般人と同じ感覚で
静かに何事もなかったように
暮らしている。
12/1は世界エイズデーであった。
最初の数年は僕なりに
検査を促す記事を記載していた。
抗ウイルス薬が進歩してもなお
エイズを発症して死亡したり
又は後遺症が残る場合があるからである。
そうならなくとも
エイズ発症により命が緊迫すると
周囲に告知せざる得ない場面もある。
僕がそうであった。
年々、自分自身がHIVである実感が薄れ
発症しHIVだと医師から告げられた時の
鈍い痛みのような感覚がなくなっている。
大ごとを大ごとだと
思えなくなっている現状では
HIV啓発だなって大それた内容は
書く資格がないのである。
あの頃は10年経つとHIVに関して
どういう感情を抱くのだろうかと
病室のベッドで考えたものだ。
あと2年で闘病が10年。
15年、20年経つとどうなるだろうか?