これが僕のHIVとの生き方

2013年8月にエイズを発症したHIV患者の闘病記です。日々の生活と素直な気持ちを綴っています。

家族に対して

葛藤しながら遺族として生きる

僕はiPhoneの中の写真を見ない。

そんな僕が
先日iPhoneの写真を見ていたら
過去の同じ日付の画像を
表示してくれる機能に気が付いた。

10数年ぶりの、その日の写真があった。
初めてデジカメを持ったのが嬉しく
何ともない景色を撮ったものだったが
懐かしく感心をしてしまった。

昔の画像を見直すと
父の写真があった。

両親。兄家族。姉の子供。僕。

日帰りで家族旅行をしたときのものだ。
地元で有名な観光名所の山に向かった。

途中、干潟に車を停め
昔と変わってしまった
壊れた景色を眺めた。

目的地である山に着くと
小さい頃と変わらない
隆々とした景色や
森林の澄んだ空気がひろがっていた。

帰路で昼食を摂りたかったのだが
ノープランだった為
あれやこれや悩んでいるうちに
何もない道に入った。

そのまま夜になってしまい
ありふれたファミレスで食事をした。

お腹がペコペコで愚痴りながらも
僕達、家族らしいねと
談笑しながら
家族の時間を過ごしたっけ。

懐かしいな。



昨日は父の命日であった。

亡くなる前の三ヶ月間は
食事ができなくなり
腹は減るのだと食べては嘔吐してを
繰り返していた。

父なりの生に対する
執着だったのであろう。

それ故に
父の好物である
ブリの刺身と
アサヒのスーパードライを
僕は仏壇に上げた。

供養というよりも
自分自身の後ろめたさや葛藤から
逃れる為の行動なのである。

未だに他人への思いやりではなく
自分勝手なままである。
あさましい人間だ。



父を想う。

家族の立場で想うのが普通だろうが
僕は患者の立場で考えてしまう。

果たして一人の患者として
他の患者を思いやれただろうか?

患者としての痛みを
分かってあげられただろうか?

その人の“答え”を見つける
支えが出来ていただろうか?

果たして何が出来ていたのだろうか?

僕達家族は父に余命を
“伝えない”という選択をした。
議論して検討したのではなく
逃げである。

相反して
僕は自身の治療においては
自分で判断を下してきて
これからも下し続ける。

父には何も伝えず
ただ時を流してきた人間がだ。

なんて馬鹿なんだ

大馬鹿なんだ

にほんブログ村 病気ブログへ にほんブログ村 病気ブログ HIV・エイズへ

誕生日は”ない”ものに

『何時頃帰ってくる?』

『今日お母さんの誕生日
祝いをしようと思うんだけど』

姉からLINEが入った。 

「今日は帰りが遅くなるから
みんなでやっていいよ」 

『そっか、わかった。
アルバム作るから写真送って』 

通知で内容の確認ができた為
内容の返信どころか
僕は既読すらしていない。

いやいや。
あなた方。



昨日は母の誕生日祝いを
皆でやったようだ。

僕は習い事があり
帰りが遅くなる為
皆でしててと返信をした。

むしろ乗り気でなかった為
習い事という断りがあって
助かったという心境である。

母とは
”お互いに誕生日祝いなんて
しないでおきましょう” 
”むしろ、もう忘れましょう” 
という暗黙の了解がある。

だから僕はもう祝わない。



父の生前の話なのだが
誕生日を忘れられた時がある。 

その頃はまだまだ免疫値が低く
非加熱のものは摂らない
食事制限をしていた。

”食べたいのに食べられない”
という障壁を想像していたのだが
実際に行うと予想だにしない
問題が浮き彫りになった。

家族の団欒で
非加熱食品だから食べられない
と断ると

『それぐらい食べて大丈夫!
神経質すぎるんだ!』 

といった根拠のない
無神経な主張が飛んでくる。 

何度目かで怒りが爆発し
後々は家族と食事を摂らず
自炊するに至った。

そんな時に僕は誕生日を迎え
 ”今夜は夕飯全てが加熱食品で
皆で同じものを摂りたい”
と願い出た。

このささやかな願いは
打ちのめされた。

『今日誕生日?忘れてた。
今日は〇〇(姉)と
向こうの両親と食事に行くの。
冷蔵庫に肉入ってるから
それ自分で焼いて食べて!』 

と予想だにしない返答があった。
誕生日は祝ってもらえると
信じていた自分が滑稽であった。

両親が帰宅してから母に
『どうせ来年もあるさ』 
と声をかけられた。

その言葉を受け
怒りがこみ上げ
何かを言ったのだが
内容は覚えていない。

年明けに父が亡くなった為
”どうせ来年”の来年は
いつになっても来ない。 



先月は、 僕の誕生日があった。

誕生日はこういった
全てのしがらみから離れる日
と自分の中で決めていて
夜遅くまで遊び呆ける。

母から
『誕生日おめでとう』
という短文が送られてきたが
返信はしていない。

もうなかったもので
いいじゃん。
今更。



この状況を毎年
僕達は繰り返している。 

たかだか
しょうもない話なのだが

このくだらなさの中に
自分の精神的な
限界だった時の苦悩と
父がいなくなった寂しさとの
間で渦巻く怒りの感覚に

くだらないものが
くだらなくなくなり

挙句、逃避という行為が
今はもう心地いい。

 にほんブログ村 病気ブログへ にほんブログ村 病気ブログ HIV・エイズへ

叔母の一周忌と自分の病気

今日は叔母の一周忌。

会社は有給休暇を取り
法事に参加した。

叔父の家でお経をあげ
あげ終わると 
移動をし食事を摂る。

他愛のない話をし
時間が来てお開き。

家に着いて
今はのんびりと
過ごしているところである。



自身がHIVだとわかり
何事も患者としての視点から
物事を考えるようになった。 

あの人が癌、この人も癌。

癌で亡くなる人は
珍しくない。

どんな気持ちで
病気を捉え
のちに余生を考え
ベットの上で
その人は何を考えていただろうか?

なんてついつい
考えてしまうのも 
患者としての物事を
見ているからかもしれない。

父の仕事仲間であった方が
どうも容態が良くないらしい。

癌を患ってて
病状が思わしくないのは
知っていたのだが
腹水が溜まり
入院されているようだ。

癌の場合
水が溜まってくると
残された時間が少ないのを
痛感してしまう。

家族にとっても
いつかは来るであろう
患者の”死”が
いよいよ身近に
迫って来ているのだと 
現実に落とされてしまう。



自分自身が患者であり
病と生きるかたわら
自分の命でさえも
限りがあると
常々感じざる得ない。

その時々の副作用。
通院で目に入る患者達。
閉ざされた診察室。
手に広げた錠剤。 

だからこそ
今を大事にと言われれば
それはそうなのだが。



青く広がった空に
山の緑、海の青。
澄んだ空気。

今日はこちらは
気持ちの良い天気だ。 

地のものを口に運ぶと
生き生きとした味がして
自分の味覚にすっと馴染む。

自分のどこかで
自身を否定していたものの
最近はやっと
肯定できるようになった。 

都会のように
多様な価値観や
物、量はないけれども
のんびりと過ごすのも
これはこれで悪くはない。

僕は素晴らしい人間ではないが
これはこれでいいんだ。

 にほんブログ村 病気ブログへ にほんブログ村 病気ブログ HIV・エイズへ

母の希望と支離滅裂な意見

”鬱と不眠症”

母の誤った考え方は
なかなか修正ができない。 

そこには母なりの
希望があるからだろう。 

しかしながら
希望は希望であり
その域からは
正しい答えは出ない。 

現実は現実であり
やるべき内容を
すべきだからだ。



昨日は母に火曜から
入院する旨を伝えた。

家族には自分にとって
伝える必然性がない為
何も言わず入院するつもりだ。
いざという時に
家族と僕との溝の調整を
母にしてもらわなければならない為
母だけには入院を伝えた。

CPAP開始に伴って
機械の使用方法と
実際に検査データが回収できているか
確認の為だと言った。

内容を伝えると
毎度、母親として心配が 
湧いて出るのがこちらにもわかる。

心配から希望に移り
のちには批判になるのだ。



『あんたも忙しいね。

CPAPなんて若いから
しなくてもいい。

大体、不眠症とか鬱なんて
薬をずっと飲んでいるから
それが蓄積されて
狂ってくるんだ!

そんなもの飲まないで
自然に任せて
なんとかしないといけない。

不眠症の人の気持ちが
わかってないとか言うけど
私、不眠症でもないし
わからないのが当たり前。』 



この調子で
支離滅裂な主張が
何度始まったことか。 

母は看護師である。
僕に関係している
専門医や薬剤師の行為を
なんだと考えているのだろうか。

看護師として
この意見はまずいだろ。
うんざり。

以前は母の支離滅裂な主張に
こちらも専門知識で反論していた。
それももうしない。

この支離滅裂な主張の裏側には
母親としての純粋な
健康を願う気持ちがあるからだ。

鬱とか不眠症。
その為の薬を飲まないで
健康に生活をして欲しいと。

純粋だからこそ
頑なに支離滅裂なのだ。



鬱と不眠症。

対処としては
僕の場合、二通りしかない。

一切薬を飲まず、仕事も辞めて
ただひたすら家にこもり
家族の援助を受け
たっぷりと時間をかけて治すか。

反対に
薬を服薬し
社会生活を営みながら
他人と同じ当たり前の生活の中で
治していくか。 

私たちが全て援助もするから
薬を飲むのを辞めて欲しい。
というのならば、それが楽だから
すぐにでもそうするのに。

心療内科にかかり
服薬しながら社会生活を送るのが
”甘え”ではないという事実を
鬱や不眠症のマイナスイメージからか
なかなか見ようとはしない。

自分が何をすべきか
どういう手順で完治するのか
僕は道順を見据えている為

人が何を言おうと
そこから何を拾って
何を拾わないか
冷静に選んでいる。

まぁ、人の意見なんて
自分に有益なものだけ
拾っていけばいいし。

全て拾っていたら
馬鹿らしいからな。

 にほんブログ村 病気ブログへ にほんブログ村 病気ブログ HIV・エイズへ

病人の気持ちは当人しかわからない

水曜日は通院日であった。
問診の結果
無呼吸症候群の可能性を疑われ
検査器具を病院から借りてきた。

自宅に着き
日没まで時間があった為
僕は洗車をしていると
母から外食の誘いを受けた。
そして承諾した。

レストランへ向かい際に
転院先の病院の内容や
睡眠の問題、無呼吸症候群に
ついての話題を話した。

まさか母から
的外れな指摘を受けるとは。



『無呼吸症候群の治療なんて
若いんだからしなくてもいいわよ。

器具付けて寝るのよ、器具を!

大体、睡眠薬なんて
飲まなくとも済むような
生活をしないといけないわ。

そんなもの飲むから
次の日も眠気が残るんだ!』



僕は呆気にとられた。

なぜなら母は看護師であり
薬の”半減期”という認識を
持つべくして
持ってなかったからだ。
なおかつ
医師の判断も看護師ならば
尊重すべきである。

「不眠症ってなかなか
伝わりにくいけど辛いんだよ」

と僕が言葉を発した。
半減期がどうのこうのであったり
鬱症状と睡眠が関係していたり
いつ事故してもおかしくない程に眠い
朝の通勤状況を
言いかけたのだけれども
簡潔な内容の方が良いと判断した。

『辛さは分かるはずがないじゃない。
私、不眠症じゃないから
分からないのが当たり前でしょう』
と母は返答した。

呆気なく
僕の言葉選びの気遣いは
崩れ去った。

わからない内容を
わからない人に
何時間説明しても
わからないままだ。

それが現実であり
時間の無駄を省く為に
僕は話題を変えた。



”母なら分かるはず”
”看護師なら、なおさら分かる”

という純粋な気持ちは
時として裏切られる。

病人の気持ちは
当人しかわからない。
現実は、お粗末なものである。

しかしながら
五年もの苦労の上に
決して落胆はしないのだ。
不思議なことに。

五年間
薬と副作用と向かい合い
生活してきた本人と
全くの素人である家族との
壁を挟んだ意見の違いだろう。

共に始発を歩き出しても
分岐点で別れると
年月が経てば経つほど
対称的になってゆく。

誰も悪くない。
仕方のない内容だ。

”落胆や憤り”より、むしろ”納得”という
感情が湧くのである。

にほんブログ村 病気ブログへ 
にほんブログ村 病気ブログ HIV・エイズへ
プロフィール

ぽけんた

1982年生まれ、九州在住、HIV患者。2013年8月15日に〈いきなりエイズ〉を発症。闘病の記録と正直な気持ちを綴っています。見て頂いた方のお役に立てれば良いです。

服薬
【抗ウイルス薬】
ゲンボイヤ
【その他】
レクサプロ・ベルソムラ・ロゼレム・オロパタジン・カロナール
〔2018年6月現在〕
検査数値 (CD4・RNA)

〈2018〉
450ぐらい・検出値以下 (2/7)
〈2016〉
450ぐらい・29(5/25)
〈2015〉
369・検出値以下(6/8)
〈2014〉
269?・32(4/7)
169・20(3/10)
121・20(2/10)
〈2013〉
110ぐらい・74(12/16)
97・? (11/25)
81・460 (10/7)
155・4000 (9/13)
30・430000 (9/5)
48・? (8/15)
ぼやき
更新状況
応援クリックが励みになります にほんブログ村 病気ブログ HIV・エイズへ
にほんブログ村
記事検索
リンク
【国立機構 九州医療センター】
kyusyu

【エイズ・ワーカーズ・福岡】aidswakazu

【コミュニティセンターhaco】haco

【ぷれいす東京】ptokyo234x60_02

【ジャンププラス】aidswakazu
承諾事項
商用目的、および商用と判断したコメントは、削除もしくは修正させて頂きます。ご了承下さい。
  • ライブドアブログ