今日は休みをとった。
そのため月曜ながら
日曜の感覚で起床した。
朝というかもう昼に近い。
当然ながら家族はいない。
居間には蕁麻疹で休んでいる4歳の姪と
不登校の12歳の姪っ子。
一方はテレビでYoutubeを観て
もう一方はiPadでTikTokを鑑賞している。
そんな今時の子供の背中を見ながら
僕はせかせかと朝飯を食べた。
大きい姪が父が亡くなった頃は
4歳の小さい姪ぐらいだったんだな
僕はそう感じ
ふと
「〇〇は爺ぃじのこと憶えてる?」
姪に投げかけた。
今日は7年目の父の命日である。
『お父さん最近急に痩せたと思わない?』
テレビを見ていた僕と対面して
座っていた母が言った。
全く気にしてもなかった。
見ているが日常の当たり前だからこそ
見えていなかった。
次の晩、父がトイレで嘔吐していた。
「お父さん、最近の便の色は茶色?
黄土色?それとも黒っぽい?」
便に血液が混じっているかを確認したく
無知な父であれば嘘を付けるはずがないと
さらりと僕は問診をした
『黒いよ』
父が返した答えは全く良くない
それが僕が
患者と支える家族の立場の
支える側に立った最初である。
そこから5ヶ月という短い期間で
父は逝った。
父の闘病、僕の闘病
闘病において判断に困った場合
判断する為の材料が
自分の中に足りていないと僕は考え
その材料となるべく事柄を探す。
薬の副作用や
血液検査の内容であったり
時には患者会での生の声である。
それが自分の闘病を
切り開くものであり
自分が納得するには
自分自身で物事を決めていく。
それが僕の闘病のあり方だと信じている。
一方で大病を患った父は
自分で何も判断しようとしなかった。
癌の進行具合も知ろうとせず
自分が末期癌である状況や
余命すら知らずに。
全ては医師と母の2人で
決められていた。
僕が信じている自身の闘病と
あまりにもかけ離れている父の闘病。
患者と家族の関係だと
致し方ないと理解するのだろうが
患者と患者との立場だと
理解しがたく
このかけ離れた闘病のあり方が
僕を数年間苦しめるのである。
「父の闘病は正しい闘病であったのだろうか?
患者と患者としてもっとやるべきものが
あったのではないだろうか?」
“仕方がなかった”
理解しようにも理解できなかったが
甥や姪の成長や
歳をとった母や僕ら兄弟を見ていると
時間の経過と風化で
父の闘病を受け入れられてきている。
デスエデュケーションを施し
自身の死を理解した上で
残される家族に残したいものを託す。
急に末期癌患者となり
5ヶ月の短い間で行うのは無理である。
であればいっそ
向き合わないという方法も
闘病のやり方の一つである。
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そのため月曜ながら
日曜の感覚で起床した。
朝というかもう昼に近い。
当然ながら家族はいない。
居間には蕁麻疹で休んでいる4歳の姪と
不登校の12歳の姪っ子。
一方はテレビでYoutubeを観て
もう一方はiPadでTikTokを鑑賞している。
そんな今時の子供の背中を見ながら
僕はせかせかと朝飯を食べた。
大きい姪が父が亡くなった頃は
4歳の小さい姪ぐらいだったんだな
僕はそう感じ
ふと
「〇〇は爺ぃじのこと憶えてる?」
姪に投げかけた。
今日は7年目の父の命日である。
『お父さん最近急に痩せたと思わない?』
テレビを見ていた僕と対面して
座っていた母が言った。
全く気にしてもなかった。
見ているが日常の当たり前だからこそ
見えていなかった。
次の晩、父がトイレで嘔吐していた。
「お父さん、最近の便の色は茶色?
黄土色?それとも黒っぽい?」
便に血液が混じっているかを確認したく
無知な父であれば嘘を付けるはずがないと
さらりと僕は問診をした
『黒いよ』
父が返した答えは全く良くない
それが僕が
患者と支える家族の立場の
支える側に立った最初である。
そこから5ヶ月という短い期間で
父は逝った。
父の闘病、僕の闘病
闘病において判断に困った場合
判断する為の材料が
自分の中に足りていないと僕は考え
その材料となるべく事柄を探す。
薬の副作用や
血液検査の内容であったり
時には患者会での生の声である。
それが自分の闘病を
切り開くものであり
自分が納得するには
自分自身で物事を決めていく。
それが僕の闘病のあり方だと信じている。
一方で大病を患った父は
自分で何も判断しようとしなかった。
癌の進行具合も知ろうとせず
自分が末期癌である状況や
余命すら知らずに。
全ては医師と母の2人で
決められていた。
僕が信じている自身の闘病と
あまりにもかけ離れている父の闘病。
患者と家族の関係だと
致し方ないと理解するのだろうが
患者と患者との立場だと
理解しがたく
このかけ離れた闘病のあり方が
僕を数年間苦しめるのである。
「父の闘病は正しい闘病であったのだろうか?
患者と患者としてもっとやるべきものが
あったのではないだろうか?」
“仕方がなかった”
理解しようにも理解できなかったが
甥や姪の成長や
歳をとった母や僕ら兄弟を見ていると
時間の経過と風化で
父の闘病を受け入れられてきている。
デスエデュケーションを施し
自身の死を理解した上で
残される家族に残したいものを託す。
急に末期癌患者となり
5ヶ月の短い間で行うのは無理である。
であればいっそ
向き合わないという方法も
闘病のやり方の一つである。
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